剣道も少し 



第一回 剣道の現状
  


 かつて柔道と並ぶ武道といえば剣道であったが、内外の武道人口という点では空手道に及ばないのではないだろうか。これはオリンピック競技になったから、というのは答えになっていない。むしろ世界的に競技人口が増えているかどうかが、商業的になっているオリンピック競技になる基準であるとおもうからだ(大きな要因は金とコネだが)。

 剣道が柔道・空手・合気道のような徒手武術に比べて普及に不利な面があるのは止む得ない。それは野球とサッカーの世界人口との関係と少し似ている。サッカー・ワールドカップは単一競技であるがオリンピック全競技より参加国が多く、競技人口もオリンピックより多いと思われる。

 野球にはバット・グローブといった用具が必要になり、サッカーはボールさえあれば何とかなる。いやそのボールさえ服を丸めてつくったりして子供が遊ぶことが出来る。野球がサッカーに世界的に及ばない理由の一つと思われる。日本で野球が普及した理由の一つに、バットとボールのみの三角ベースが子供のころ流行ったのはおおきかったと思われる。

 剣道は前者と似ていて竹刀や防具が必要になる。防具の値段は下がったとはいえ、貧困な国に普及するのは難しい。日本でも籠手や面を修繕しながら使用しているのが現実だからだ。しかし、これらの消耗品(特に竹刀)は経済にとって重要な一つであることも事実であるから困る。

 カーボン製の竹刀が発売されたが全国的に普及したという話は聞かないし、現状どの程度の広まりなのかも把握できていない。正直、作り手側にとっては耐久度が低い竹製の竹刀の方が商売になりやすいと考えれば、カーボン製竹刀は商売的にも良いとは思えないからだろう。
それにしても上泉伊勢守時代に考案された「袋竹刀」が幕末ごろに現在の竹刀となり、この竹刀が現代まで150余年形がほどんどかわることなく維持されているのも不思議ではある。

 戦前の剣道は古流出身の師範が多く在籍していたため、剣道の哲学・哲理は独自のものは少なく古流に頼る場合がほとんであった。講道館柔道が古流の哲学や哲理から脱して、嘉納治五郎という「武の巨人」による教えが主となったとは異なる。剣道は古流寄りの競技武道であったといえよう。

▽嘉納師範の場合、古流の理論を現代人が解釈しやすいように試みた場合が多い。しかし「古式の形」などは現代理論化できず、その後継者ともいうべき永岡秀一十段も理論化することができなかった。

 剣道を学んだことで身体が強くなり、積極性がよりでた私にとって現在の状況を好ましからざるものと考えています。ビジネスモデルが無く苦しんでいる出版界とよく似ているように感じるのです。

 剣道は「面、籠手、胴」の三手を主とし、「突き」を加えても四手しかない。これが「先」「先の先」「後の先」と分かれてゆくのは経験者なら自明の理ではある。攻撃の術数が少ない事はそれほど問題ではないが、防御技術がほとんどないという問題はある。

 一番の問題は技術指導がほとんどない、これではないかと思われる。次回は自分の劣っていた部分の克服方法などを紹介したい。


第二回 抜き胴の克服
  
 古武道をやっている人で剣道をバカにしている人も少なからずいる。ただし、その逆も同じように存在することも知っておかなくてはいけない。
 

 とはいえ竹刀稽古は江戸時代は剣術の補助として発展し、江戸末期には形以上に重視されたことを考えれば、剣道はむしろ古流の一部もしくは主流といって良いとおもわれます。それは近代でも同じように扱われていたことをみればわかる。

 竹刀稽古は江戸末期から近代(明治・大正・戦前)で「撃剣」から「剣道」と名称がかわったものの、発展して行く過程をみて行くと古流の或る流派にそっくりに思えるのはわたしだけだろうか?

 その流儀は「無住真剣」。針ヶ谷夕雲を祖とするこの流儀は、防御技法をすて攻撃を「切る」という単純化して「先」を重視する流儀であるが、その基本的な考え方は新陰流からでたことは紛れもない事実であった。そして防御技法がそれほど発展しなかった剣道をつきつめてゆくと無住真剣に非常に似た技術になる。

 私は剣道の高段者でもましてや達人でもありません。つまり普通に剣道を学びながら小さな丘を越えて少しずつ上達していゆく一般の修行者であったということです。

抜胴の克服
 私が比較的習得に時間を要したのが「抜胴」でした。まず両手がクロスして相手の右胴(こちらから見て左側)を打ち、相手の左側(こちらから見て右側)に抜けるという動作です。私にとって酷く不自然な動きに見えたのです。しかも学校の部活では指導者が個々に細かい指導はおこなわないので、独力で克服するしかありませんでした。

 抜胴の要点は「動作の先をとること」「打った後に両手を折り畳み反対側に抜ける」の二つ。現在の剣道は大きく振りかぶらない「指し面」がほとんどなので先を取り面をかわすのと胴打ちを同時におこなうことです。出籠手や出鼻面とは少し異なっています。

 まず胴打ちの稽古を充分行い、両手の折り畳みかたを覚える事。次に自由一本組手で先(タイミング)を知ることの二つです。

 打った後に腕を折り畳む動作習得には打ち込み稽古が必要です。当時は胴打ちなどの打ち込み稽古より自由一本組手を重視していたため、打ち込み不足から基本的動作を覚えていなかったのです。それが打った後に腕を折り畳むことができなかった要因です。

 打った胴の側(向かって左側)に抜けるのはできるのに、うった反対側(向かって右側)抜けられない場合は腕の折り畳みができないからだとわかるまで苦労してしまいました。

 抜胴のタイミングが取れない場合には、下から刷り上げるように受けてから胴を打つ稽古を勧めます。そこから少しずつ受けるのではなタイミングを覚える事です。

第三回 形と竹刀稽古

 最初の写真は香取神道流の薙刀術、次が合気道開祖植芝盛平翁の構え(新陰流)。合気道のいわゆる合気剣は単純なイメージとしては新陰流と一刀流を合わせたたように思えました。
 
 合気道の合気剣は鹿島新当流も加味されて開創されたといわれています。形は興味深いものがありましたが、伝える人で細部が異なったりするのは不思議なことではありません。合気道の剣術が実際の切り合いに使えるかは分かりません。何故なら真剣での切り合いは今の日本にはありませんから。
植芝翁の師である「不世出の達人武田惣角」は型稽古だけでなく防具を付けての試合もやています。「日本一の突きの名人下江秀太郎」は剣術界で「一といって二と下らない」といわれるほどの剣客で、警視庁で逸見宗助を破り名実ともに日本一の使い手でした。その下江と互角以上にわたりあえたのだから如何に剣の使い手であったかがわかります。

 下江は人に教えるのは得意ではなかったと聞いています。昭和の名剣士門奈正は若い頃に下江に稽古をつけてもらったことがありますが、その回顧談に「竹刀にふれることもできず、一方的に打ち込まれた」といっています。圧倒的な強さだったことがわかります。

 ただ、このように一方的に打ち込む方法は指導者としては落第のようです。相手に正しく打ち込ませ、癖のあるところを打って正す、これが指導者のつとめであると聞いています。高段者にとっては勝敗は問題ではないのです。

 惣角の形と竹刀稽古を受けたのは佐川師範だけだそうで東京に出る以前に、全国一位に輝いたこともある強豪の北大剣道部と柔道部が「大東流なにするものぞ」と挑戦して、全く歯が立たずその実力を示したそうです。

 三枚目は神道無念流の斎藤弥九郎の写真です。神道無念流派は剣道の「切り返し」の原型になったともいわれいます。竹刀稽古の「横面」にあたる技法だったと思います。

 幕末に廻国修行をした佐賀の牟田文之助(鉄人二刀流)が江戸の三大道場を訪ねて稽古をしましたが、道場主はことごとく試合を拒みました。斎藤道場も最初試合を拒んでいたのですが、牟田の熱意に息子の斎藤新九郎が立合います。相当激しい試合になったようで、牟田文之助は「楽しかった」と日記に書き残しています。牟田と新九郎は年齢が近い事もあり無二の親友となります。いいですね。
斎藤弥九郎
 その後、牟田は斎藤道場の紹介状をもって佐倉藩・水戸藩・会津藩とスムーズに修行をすることができました。

 この牟田文之助、鹿島の地にもきています。鹿島神宮に来て新当流の松岡家を紹介されて稽古にいきますが断られてしまいます。曰く「門人は皆畑仕事に出ているので稽古はできない」とのことでした。

 当時の松岡家は試合稽古は神道無念流を採用していました。そういえば佐倉藩の試合稽古は鏡新明智流でした。やはり江戸の道場が竹刀稽古のレベルは高かったようです。


第四回 撃剣

 カラー写真(9年前)は定期的に開催された中学生を対象とした剣道大会。当時は結構な賑わいだったが、それほど知られている様子はなかった。試作版を作ったことがあったが参加者からは比較的好評だった。広告をとれるようになれば、何とか運営はできる可能性はあった。



 古流と剣道の一番の違いは古流が「撞木足」なのに対して、剣道の足は並行になっていて相手と正対する形をとることである。


 後半の三枚の図は、明治期末期に発行された直心影流の竹刀稽古をまとめた『剣法獨案内』。現在の剣道とはだいぶ異なっている。しかし、抜胴や片手打ちなど現在に共通する技法がある。明治期の撃剣をしる良い資料と思われる。


 各流儀に独自の撃剣(竹刀稽古)があったと考えるのは不自然なことではないようだ。よく古傳を口にする人がいるが、江戸時代に伝わった撃剣をやっている人は少ない。撃剣も古傳ではないだろうか? 何故か古流では撃剣をやる人は少ない。古傳なのですけどね。


 この『剣法獨案内』は過去に復刻本を出しており、第二刷も考えてはいるが資金ができてからとなりますね。電子出版なら安いので、それも視野に入れようとおもっています。


第五回 異種試合

戦前までは剣道家が槍術・薙刀などと異種試合を行うことは結構ありました。戦後でも剣道対鎖鎌といったような試合もあります。いわゆる公式な試合ではありませんが、技術的な研究ということを考えれば必要なものかもしれません。

以前にも掲載したことがあると思いますが、槍の防具も見てみましょう。『風傳流一切道具図』に書かれた槍術の防具です。次が『北斎漫画』に描かれた槍と剣の防具稽古です。槍術と剣術では槍に六から七分の利ありとも言われています。




 長柄の武器、例えば薙刀相手でも剣術家が苦戦することは多いようです。実際、棒術相手でも負けることがあります。ただ真剣となると棒術が不利になる事もしばしばあるようです。殺傷能力の差がでるためでしょうね。


 槍合、薙刀合、棒合といったように古流では各流で研究がされましたが、これを知っていれば勝てるというものでもありません。真剣白刃取りを学べば剣を簡単に封じることができる、などという妄想と同じです。


 以前、NHKで佐々木小次郎の長剣と武蔵の二刀流はどちらが有利か、という検証を特集の中でやっていました。長剣の方が圧倒的に有利でした。


 そもそも刃渡りが小さなナイフでも素手で立ち向かうことですら危険です。あくまでも緊急の時の対処法であることを知るべきです。警察の逮捕術でも素手で凶器に立ち向かいのは本来やってはならない行為としています。


 中南米のストリートギャングはロック式の折り畳みナイフを巧みに使います。あんな連中に素手で立ち向かうのは、相当な修練をしていないと無理です。


 ニコ動でフィリピンのお爺ちゃんが若者にナイフ取りを教えている動画ありましたが、手首を掴む手は凄い力で掴んでいます。足など根が生えているように崩れませんね。あのような稽古でないと凶器取りは難しいように感じますね。