コラム『東日本伝統武道保存会始末記』


第二回 崩壊の序曲
 水戸から帰ってきた私は体調を崩し横になってはいたが、自分の出来る事をずっと考えていたのです。そう、組織作りをどうするかを頭の中でチャート化していたのです。

 まずやるべきことは運営するための原資は何かです。出資者がいるわけではないので加盟流儀から会費を徴収することを提案しました。組織作りで最も重要なのは継続する事。それには原資を確保することは必須事項です。多くの武道団体・道場が苦戦するのはこれですから。

 しかし、これに実行委員のS氏は難色、というより反対でしたね。参加してくれる流儀から会費を取るのは会が上手くいってからで良いのでは、というのが理由です。気持ちはわかるのですがね、最初無料で後に会費をとるよりも後に無料にした方が人は納得しますから。ここでは、どちらが正しいかは問題ではなく単なる方法論でしかありません。実行者がやりやすいことが重要ですので、これ以上の話はしませんでした。

 そして「演武会がきまりました」ともメールにありましたね。年間スケジュールを作りたかったのですが、どうも「初めに演武会ありき」だったようです。「実績を作りたい」とのことでしたが、各自仕事をもっているのだからスケジュールを作って逆算して活動をしないと無理です。まるで「できちゃった婚」のように急いだのか不思議に感じていました。そして、私が東日本伝統武道会発足の裏にはもう一つの懸案が動いていたのを知ったのは少し後の事です。

 その懸案は会長にしたS・K氏を振興会に入会させる、ということでした。振興会は常任理事2名の推薦がいるため、保存会のメンバーであるH・Y氏が推薦者になったのです。H・Y氏とS・K氏は同じ市に住んでいるため非常に仲が良かったそうです。

 ところがこのH・Y氏とS・K氏の間に急激に亀裂が入りました。H・Y氏とS氏は振興会のメンバー、S・K氏は振興会入会候補で四人の内私だけが蚊帳の外なので経緯は全く分かりませんでしたね。

 後でS氏から聞いた話では振興会の演武会にS・K氏をともなってH・Y氏に挨拶に行くと、うつむいたまま目も合わせなかったそうです。

 さらに後に分かったことで、S・K氏が振興会加盟流儀と問題を起こしていたことが分かったそうです。しかも、その問題をS・K氏は解決済みとして申請書に書いたので問題が大きくなった。H・Y氏に苦情が集中しただろうことは想像に難くないですね。当然ながら一番悪いのはS・K氏だということです。

 一度目の演武会が天候不順で中止になり、五月五日に筑波山神社で仕切り直しの第一回演武大会が開催が決まったのですがS・H氏からまた崩壊をし始めるのです。 

第一回
 自分の記憶と記録を頼りに関係者はイニシャルで表記です(笑)

 東日本大震災がおきた2011年の末、Eメールが一通届いた。当時の私は震災によって部屋が崩壊し、パソコンで開いていた顧客名簿が破損して途方に暮れていた時期から、出版を諦め作家として残りの人生を全うしようと決め始めてた矢先でもありました。

 メール送信者は関口流抜刀術のS氏で、内容は「被災した茨城県を少しでも元気にするため武道家ができること」ということで「団体作りをしたい」といった趣旨でした。残念だけど外部協力はできるけれども団体に入っては無理なので断る事にしました。実はこの数年前に脳梗塞で倒れて、少々後遺症で苦しんでいた時期でもあったので面倒なことはやりたくありませんでしたね。私を推薦したのは金硬流空手術のH・Y氏。H・Y氏とは雑誌「文武館」発行からの浅く長くの腐れ縁でした。

 その後に某武道雑誌のS氏からも参加要請のメールがきました。この雑誌には世話になっていたので断るのも申し訳ないので、とりあえず合う事にしました。話を聞かないことには、やりようがないですからね。

 そうこうしている内に前出のH・Y氏からも参加要請のメールが来たので、会合に参加の旨を知らせておきました。

 水戸まで電車で行き待っていたS氏と北辰一刀流を名乗るS・K氏と待ち合わせS氏の経営する店で会合を行いました。まあ、しかし水戸まで往復2時間半、正直、家に帰ると体調を崩してしましたね。

 会合はS氏、S・K氏、私の三人。H・Y氏は仕事で欠席でした。団体名・役職を簡易的に決め、他愛のない話をして別れることになったのです。が、駅前から駅にゆく歩道の所でS・K氏の態度が店にいる時と微妙に違っていたことです。その違和感を大事の前の小事ということでS氏に伝えなかったのは私の判断ミスだったと思います。何故ならば、ここから崩壊が始まったわけですから。

 会長を年長者のS・K氏、副会長を私、年齢の一番若いS氏が幹事兼実行委員という形で、参加できなかったH・Y氏は本人の希望も聞いて決めることに。1年で退会するつもりだった私の考えとしてはH・Y氏を副会長に据える腹積もりでいまいした。